並木FCが目指すもの vision

萩原 武久
並木フットボールクラブ代表指導者
筑波大学名誉教授
萩原 武久

スポーツは「自由」です。一生懸命に取り組むことも、手を抜いてほどほどにすることも、観戦することも、裏方で支えることも、全てが個人の自由な考えと行動に委ねられています。他の人やコーチから強制されてやるものは、スポーツと呼ぶにふさわしくありません。

かつて「子どものスポーツ」は、稚拙さや失敗が伴っても微笑みとゆとりを持って眺められていました。しかし、近年はプロコーチの出現や保護者の皆さんにも経験者が多くなったことを背景に、子どもを取り巻くサッカーの環境は大きく変化をしてきており、とりわけ勝利にこだわる傾向が強くなっています。

しかし、並木FCでは、「子どものスポーツは」は子どもたちが将来の「いい大人」になるための準備期間としての成長に主眼を置くべきと考えています。
過度に勝利だけに求めるような発想にブレーキをかけ、サッカー「が」できる子どもを育てるのではなく、サッカー「も」できる子どもたちを育てることを目指しています。

並木FCでは、それを実現するために剣豪宮本武蔵が記した武道哲学書である「五輪書」から拝借した、「サッカー五輪書」を作っています。このページの下に記しましたので、ぜひお読みください。

並木FCのもう一つの特徴は、日々の活動時のプログラム(練習メニュー)にあります。
その内容は、競技者数、競技する場所の広さ、こどもの集中力と体力を考慮した時間等によって精査しているのはもちろん、何よりも重視しているのが、プログラムの思想・狙いです。プログラムの内容は、当然に実際のゲームの中で具現化できるものである必要があります。

並木FCにおいて特徴的なことは、これらのプログラムの狙いに沿っているかどうかの判断を、指導者(コーチ)が行ってしまうのではなく、トレーニングをしている選手たち(参加者)に委ねていることです。

それでは指導者(コーチ)は何をするのでしょうか。選手の成長段階を見極めながら、手取り足取りの細かい指導は極力少なくして、「練習メニューの提示」と「ヒント」を与えるに留めます。そのことによって、子ども達の思考力や決断力を高めるサポートをするのが指導陣の役割です。

子どものスポーツの指導は、ややもすると大人の思想を子ども達に押付けがちになります。子ども達には、プログラム(練習メニュー)という問題を課しておいて、その答えも全て教えてしまっていることがあります。そして、挙句は「もっと頭を使え」の言葉が発せられる指導の現場もあります。

指導者が問題を出して、答えまで教えてしまえば、トレーニングする子ども達が頭を使う必要はなくなってしまいます。子どものスポーツの指導者は、子ども達があらゆる状況下で能力を発揮できるような、能力獲得のプログラム(練習メニュー)の提供ができるか否かで評価されるべきだと考えます。子ども達は、その過程でサッカーの技術とともに、思考や決断をする脳の働きも獲得するのではないでしょうか。

日本の未来も、世界の未来も、現在の子ども達の成長に掛かっています。並木FCでは、未来に希望をもたらすことができるような、サッカー「も」できる子どもが育つチームを目指しています。

並木FCの掲げる「サッカー五輪書」The book of FIVE Rings on football

1.「失敗」のスポーツであるサッカー

失敗がいいとか、失敗が素晴らしいと、称賛し妥協しているのではありません。サッカーに限らず他のスポーツでも日頃の行動でも、成功の裏に失敗は付きものです。特にサッカーは失敗の確率が高いスポーツです。そこで大事なことが、なぜ失敗をしたのか、その原因を探求する気持ちを持つことです。そして同時に、その探求の方法をスポーツに限定せず、様々な分野に解決のヒントを得ることです。

もう一つ失敗をした時に大事なことが含まれています。それは、失敗の原因を、「他人や物あるいは環境や状況のせい」にしないことです。江戸時代の儒学者、佐藤一斎の言葉にある「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」ように、他者の失敗には「春風」のような寛容さを、自らの失敗には「秋霜」の如く厳しい目を向ける心構えで臨むことです。

2.「紳士・淑女」のスポーツであるサッカー

「格闘技」と言われるサッカー。それは男女を問わず身体接触の多い、激しいプレーからサッカーの代名詞にもなっています。フェアプレーやリスペクトとも言われますが、その根底にあるのは相手の、そして人間の尊厳も守る、言いかえれば相手の「人格」を認めることであり、それこそが紳士・淑女の証です。相手の人格を認め合った上で、激しくフェアなduelを繰り返す、それがサッカーです。

3.「ドラッジャリー」のスポーツであるサッカー

「ドラッジャリーdrudgery」、労役、苦役、無駄のことです。楽しい筈のサッカーにドラッジャリーなど不謹慎だ!言う声も聞こえてきそうです。サッカーは長い歴史を経て現在に至るまで、最も得点効率の悪いスポーツとして君臨しています。競技場の広さ、得点しにくいルール、ボールを足で操る難しさ、それに加えて競技時間の長さが挙げられます。サッカーを志す人もプレーをする人も、誰もがサッカーの根底にあるこれらの要素も認識し、それも含めてサッカーであり楽しみであることを承知して、子どもも大人もサッカーに取り組むべきです。

4.「コンビネーション」のスポーツであるサッカー

「combination」とは言わずと知れた、同一チームの選手間の連携動作です。「One for All , All for One」一人はみんなのために、みんなは一つの目的のためにが、集団スポーツの極意です。そのために、自分がチームメートに認めてもらうためには、自分以外の仲間を認めることから始めます。

5.「孤独」なスポーツであるサッカー

サッカーはコンビネーションのスポーツだと言いながら、その対比の孤独なスポーツとはどのような意味でしょうか。孤独は「ひとりぼっち」のことです。サッカーの試合では一つの「ボール」の奪い合いが主流になります。そのボールを保持した時に、パスを出すのかシュートをするのかの決断の選択肢である「自由」が存在します。また、仲間が保持したボールをどこに動いて受けるのかも「自由」です。サッカーでは、このような「孤独」の状況下でこそ、自分の決断でプレーする「自由」と「勇気」を発揮できる選手になりたいものです。

かの宮本武蔵の「五輪書」は、「地之巻」「水之巻」「火之巻」「風之巻」「空之巻」の全五巻から構成されています。
この書は単に、兵法を学ぶだけの書ではなく、兵法を極めるためにも文武両道が不可欠であり、武器の使用法や戦い方も幅広い知識の上に成り立つことを説いています。だからこそ、時代を超えてなお且つ愛読される所以は、剣の道の勝負事の秘訣だけではなく、複雑な現代社会における人生にも、スポーツやビジネス等のいたるところに存在する戦いにも活かされる考え方が説いてあるからだと思います。

萩原武久 プロフィール
筑波大学名誉教授。筑波大学蹴球部監督や筑波大学体育センター長を歴任し、多くのJリーガーや指導者・教育者を育成。日本のサッカー指導者の最高ランクであるS級ライセンス保持。筑波大学退職後、Jリーグ水戸ホーリーホック強化・育成部長、その後ゼネラルマネージャーとなり、チームの経営及び選手の育成に尽力。現在はつくば市スポーツ協会会長と、つくば市スポーツ振興担当理事も務める。